自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者は優秀なのか

自己愛性人格障害者が、

「優秀」であるのかどうかについては

なんとなくこのサイトをご覧になっている

皆様も分かるかと思います。

 

たとえの個人としての能力があっても、

能力があるだけでは社会人としても

家庭人としても

成り立ちません。

 

個人の能力が高められるかどうかは、

その能力に自己愛性人格障害者が

執着できるかどうかが問題です。

 

たとえばいわゆる「素晴らしい」と呼ばれるような

職業に就くことに執着しているとすれば、

それらの能力は他者よりは自然と身につくかとは思います。

 

ですが執着しても能力不足であった場合、

 

自己愛性人格障害者は

「自分自身が優秀であると思いこむために」

能力がなくても優秀さがあるように見せたり、

他の人の「優秀でない部分」が目立つように

仕向けたり、

 

あるいは上手くいかないことを

周りのせいにしたりなどの操作をします。

 

 

その職業に執着した結果、能力が非常に高くても、

「自分は確かに優れていて、それをもっと

知らしめる必要がある」という思い込みが

矯正できず、

 

結局能力があってもなくても

同じ操作をしてしまい、

 

組織人として優秀とは

とてもいえない状況になります。

 

 

著しく他の連携をかき乱すような

操作をしたり(吹聴したり)、

部下がどれだけ能力不足で

どれだけ自分の仕事が阻害されているか、

 

という被害的な立場をとります。

 

 

もちろん、全員を敵に回すことの

弊害を分かっていますから、

 

ある程度自分の味方として取り込めそうな

人間や敵に回さないほうがいい

人間に目星をつけ、

取り込もうともします。

 

 

 

組織を高めることができるか、

それぞれの個性を生かした組織を

育てられるか、

 

上司として部下として

最適な人材であるか、

ということを問われれば、

答えは“否”です。

 

 

自己愛性人格障害者は、

自分が歩み寄らなくても

自分の仕事がはかどるべき、

自分が敬われるべき、

と考えていることが多いため、

 

部下や組織の些細なミスや

効率の悪さを

チクチクとなじったり、

能力の低さを罵ったり、

怒り狂ったりします。

 

上司から褒められたり

なにか功績を残したときは

大げさに表現することもあります。

 

 

「優秀さ」というものを

操作しようという意気込みは

変わらないのです。