自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

面会を主張するが、置いていかれても困る自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者から
被害者がこどもを連れ離婚する場合、

ほぼ確実に協議離婚が
難しくなります。

(※例外があり、自己愛性人格障害者が
面会を要求したり調停を起こすことで
相当な不利益を被ると判断した場合や、

自己愛性人格障害者が他のターゲットを
見つけて被害者はどうでもよくなった
場合は協議離婚可な場合があります)


なぜなら、
自分が生きていくための
「相当みっともない部分」を
引き受けてくれる相手がいなくなると
いうことは、
不愉快以外の何者でもありません。


そのために、「こども」というのは、
とても利用しやすい存在なのです。


被害者が、こどもを愛している場合、
「自分のほうがこどもを愛している」
「こいつはこどものためを考えていない」
「家族とはみな一緒であるべき」

「離婚はしないし万が一離婚になっても
協力すべき(自分がしたくないことは
しないし、お前が親権を持つべき人間では
ないから粗相のないよう、
お前にもこどもにも指導し続けるからな)」

と、こどもを通じて被害者を
コントロールしようとします。


ですから、
「こどものため」というスタンスを
とるのは、
こどものためを思ってではなく、


「配偶者(元配偶者)のコントロール」
という明確な目的があるからです。


そうすれば、
離婚しようがしまいが
ずっと元配偶者は自分の鏡として
手元に置いておくことができます。




ところが、
これは
「被害者が、こどもを愛している場合」
です。



被害者が、こどもをどうでもいいという
態度をとっていて(被害者になるひとは
やたらと責任を重く感じすぎる人なので、
どうでもいいと思うことはまずありませんが)、


もし、
「うん、もうこどもには興味ないから
そちらの好きにどうぞ」と言われ、

実際にこどもを置いていかれると、
なすすべがありません。


「こどもを置いていくなんて!」
という言葉でおとしめられるのは、
「こどもを置いていくなんて最低だ!」
と良心が疼く被害者のみです。


ほとんど誰もが、良心が疼くと思います。

自己愛性人格障害者のモラルハラスメントは、
そういう特性があるからです。

「普通は、こどもを置いて出ていくなんて、
ありえない」
という、モラルを用いて
相手を攻撃するからです。
(どちらにしろ、連れて出ていっても「誘拐だ」
「連れ去りだ」と言い出すことが多いですが)


しかしその攻撃は、
「そんなモラル、もうないよ」とか、
「(分かってるけど、もう悩み疲れた。
こどもは何度考えても置いていくしかない)」
という人には通用しません。



子供を連れて出ていった被害者から
親権をとろうとする、というのは
親権が欲しいのではなく、

「こいつはこれだけの人間で、
これだけ親の資格がなく、
自分にはこれだけ資格がある」

という強烈なモラルハラスメントが
形になったものです。



ですから、
冷静に論理的に見える自己愛性人格障害者は、
調停や法廷だとやたらと事実を述べられずに

「あいつはこの程度。
親としてみっともない。
自分はこれだけの能力があり、
これだけ親の資質がある」

と、モラハラ丸出しになってしまう
傾向にあります。


「物証もないのに相手の悪口を言うのは、
人としての品格を問われるかもしれない」
という考えには至りません。

「具体的にどこがどのように
親にふさわしくないのか」ではなく、
どれだけ相手が愚かか、ということを
ぺらぺらとまくしたてます。

物証や具体例はほとんど出てきませんし、
出せません。

さらに、自画自賛を繰り広げることまで
あります。
(相手を下げることで自己愛を強化
させることが目的ですから、
調停や裁判もただそれだけが目的なので
自己愛性人格障害者にとっては
普通の流れです)


その「調停や裁判の場にそぐわない」
違和感が、
周りに伝わるのです。


調停中は自己愛性人格障害者にとって
「相手と自分、どちらが
間違っていて劣っているか、
結果的にそうじゃないほうは
どれだけ優れているか」ということを
証明する場でもあり、
勝ちたいという一身でそうするだけで、

親権を勝ち取ったあとには「育児」が
待っていることは気が
向きません。