自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

なぜ極端なのか

たとえば自己愛性人格障害者が

「車で飲み会に連れていってほしい、

そして迎えにきてほしい」と

配偶者に対して思っていたとき。

 

自己愛性人格障害者は連れていくのが当然という

態度をとることもあれば、

まだ支配がそこまでというときは

「ここに何時に連れていってくれる?」と聞いたり、

 

頼みごとという形をとりたくないがために

「ここまで行かないといけないけど

歩くのは遠すぎるな・・・・」

とわざと呟いたりします。

 

 

「連れていくよ」といえば

「いつもごめんね」と言えるのも

自己愛性人格障害者だったりしますが、

 

ここで、配偶者が

「その時間帯は用事があって」などで

断ったりすると、

途端に自己愛性人格障害者の

ストレスがたまります。

 

そして連れていかなかったせいといわずに

「だいたいこの家が不便なんだよねー」

「本当つかれたなー歩かされるなんて」

「なんのための車なんだか」

「折角酔ったのに酔いがさめちゃった、

飲み会も満足に行かせてもらえないなんて

地獄だね!」

 

と腹を立て数時間も暴言を吐いたりすることが

珍しくないことが分かっているので、

 

配偶者は夜に用事をいれることは

出来なくなります。

 

連れていけば「いつもごめんね」と言えるのに、

断れば数時間説教されるほどこき下ろされる

わけです。

 

 

なぜここまで極端なのかというと、

「車で連れていって」と頼んでいる時点で、

 

「配偶者」ではなく「飲み会の会場に行くための手段」として

考えています。

 

 

自己愛性人格障害者はよく

「人を道具のように扱う」と言われますが、

これはあながち間違っておらず、

 

あるときは「自分の思う料理を食べるための」

またあるときは「自分のシャツにアイロンを綺麗に

かけるための」道具としてしか見ていません。

 

 

これは赤ちゃんが、

母に対して「おっぱい」を望み、

よく出る味のいい「おっぱい」であれば喜び、

出ないおっぱいには腹を立て泣きさけぶのと

同じと考えられています。

 

赤ちゃんは「おっぱいが出ないけど

大好きなお母さん」といえるほど

全体をまだ見れないわけです。

 

だから、

「飲み会に連れていけない」というだけで

評価は一気に下がり、「配偶者」であろうが

その時点ではただの「飲み会に連れていかない

酷い人間」

として扱われてしまいます。