自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

モラハラ対処が困難を極める理由

たとえばモラハラ対処法に、

「モラハラする人は愛に飢えています、

出来るだけ褒めて、

苦しみを理解しましょう」という

文言が書かれていたとします。

 

ところが、被害者が加害者を褒めても

どうにもなりません。

 

色々と理由がありますが、

自己愛性人格障害者は自分の都合のいいように、

メッセージを捉えます。

 

その褒め言葉が、

褒め言葉に聞こえるときもあれば、

けなしに聞こえることもあるわけです。

 

 

そしてどちらに聞こえたとしても、

自己愛性人格障害そのものに影響は与えません。

 

モラハラの対処というものを調べたいとき、

一番はやはり「モラハラがなくなる」ことを

望んでいる人が多く、

二番目に「モラハラが治らないのは分かったから

せめて被害が大きくならないように

対処法を知りたい」

ということだと思いますが、

 

自己愛性人格障害者の

憤怒などの「反応」をどうにかしようとするのは

至難の業です。

 

 

たとえば、

自己愛性人格障害者がとある団体に所属していて、

その会合が開かれるとき。

 

その自己愛性人格障害者が、

その団体に所属している期間が長く、

「自分はこの団体では偉い存在だ」

と考えていて、

 

その自分が偉い存在だ、何でも知っているんだと

「示すためだけ」に、

「会合前にはみんなに連絡してそれぞれの役割と

詳細を伝えるべきだ、

円滑に会合を進めたりコミュニケーションを

図ったり報連相は大事で・・・・」と

何かと理由をつけて会合前は必ず

電話魔になるとします。

 

こういうとき、

配偶者が労をねぎらうために

「わざわざ連絡するなんて、

いつも大変だね」

と声をかけると、

 

「そうだよ。みんな知らないから

大変だよ。こんなことまでしないと

いけないなんて、しっかりしてほしいね」

と答えたとします。

 

 

このとき、

自己愛性人格障害者の中で

褒められたというよりは、

 

「みんなに自分は偉いのだと、自分がなんでも

知っているのだと自慢したい」

という気持ちを隠して「円滑に進めるために

連絡は大事だからな」ということにした、

その正当化に対して賛同しただけになります。

 

つまり自己愛性人格障害者自身を

褒めたのではなく、

表面的なモラハラ思考を肯定しただけです。

 

なぜなら自己愛性人格障害者の

「本当の気持ち」はただ「みんなに自慢したい」

だけなのですから。

 

 

また、

この自己愛性人格障害者が今度は

「自慢したいから電話する」人間ではなく、

 

「一人で会合に行きたくない」から、

誰か一緒に行ける人間を誘うために

これまた「みんなに詳細を伝えておかないと

分かってないやつが出てきたりして

面倒だからな」・・・などと言って

必ず電話魔になるとします。

 

自己愛性人格障害者が

モラルだ礼儀だ義務だ責任だといい始めるときは、

たいてい本心を隠したいときです。

 

さきほどの場合は

「自慢する自分は恥、自慢なんかしていない」

「自慢するためだけに電話するなんて

思われるのも恥」

と自然と思うので、それを隠そうとするだけで

いいです。

 

自分が「自慢できた」と思うことが出来れば

それで自己愛性人格障害者は納得いきます。

 

 

ところが今回の場合は

「誰かと一緒に行かないと恥」

「誰かと一緒じゃないと不安な自分は恥」

「そのために電話したなんて知られるのも恥」

なのですが、

誰も一緒に行ってくれない、となった時点で

それ自体も恥になってしまいます。

 

けれども、誰かが一緒に行かなくてはいけない

義務もないですし、

それぞれの都合があるわけです。

 

自慢と違い、

自分ひとりでなんとか出来る問題ではありません。

 

ですが、誰も一緒に行ってくれる人が見つからない。

自分の「恥」を晒さないといけないような気分に

なってくる。

 

そのときにそんな事情を知らない配偶者が、

「わざわざ連絡するなんて、

いつも大変だね」

と言ったとします。

 

さっきとセリフは何も変わりません。

 

 

けれどもこれが自己愛性人格障害者には、

「わざわざ電話するなんて、

普通はないよね。

本当は一人で行きたくないだけなんじゃないの?」

「ごちゃごちゃ言ってるけど、円滑な

コミュニケーションとか、本当は

どうでもいいんじゃないの?」

「誰も一緒に行ってくれないなんて、

大変だね」

 

・・・と、言われたような気分になります。

 

なぜなら、自己愛性人格障害者が一番、

自分に対してそう思っているときだからです。

 

進行をスムーズにするためとか、

皆に教えてやらないととか、

本当はそんなことはどうでもよく、

ただ「誰か一緒に行ってほしい」

だけなのに、

 

ということを言うのが恥、思うこと自体が

恥だと思っている。

だから、建前を使う。

 

そういうことを、

配偶者に見透かされたような

気分になるわけです。

 

自己愛性人格障害者は、

急にいらいらしだしたり、

会合の後に「会合でこんなことがあった、

最悪だ」と

何か理由をつけて、

 

最終的には配偶者に当り散らすように

なります。

 

なぜなら、配偶者の

「わざわざ電話するなんて、

大変だね」

という些細な言葉が、

 

自己愛性人格障害者にとっては

強烈な非難の言葉に聞こえているからです。

 

ですからその時のアンサーのように、

「連絡は重要なんだぞ、お前みたいな

三流には分からないかもしれないが~」

「こっちはこれだけ交友関係も広いんだから~」

と、説教を始めたりします。

 

配偶者は、なぜ会合と関係ないはずの自分が

怒られないといけないのか?

というか、連絡を批判したこと

あったかな?あなたには友達が少ないとか

言ったこともないはずだけど?

 

そんなに会合で嫌な目にあったのか?

と急に怒り始めた理由もわからないまま

批判を受ける羽目になります。

 

同じ言葉でも、

自己愛性人格障害者が

「何をその時回避しようとしているか」

「何を恥だと思っているか」

によって反応が大きく変わるため、

 

どういう言葉をかければ

相手の行動がコントロールできるとか、

そういうことは一概には言えないので、

モラハラ対処は難しいわけです。

 

 

自己愛性人格障害者の状況も

コロコロ変わります。

先ほどの例の場合は

「一緒に会合に行く人が誰もつかまらない」

だけで一気に自分の本質に直面させられた

気がして、

 

それだけでも一気にストレスのメーターが

上がるわけです。

 

あそこで被害者が

「大変だね」なんて声をかけなければ

被害を食らわなかったかというと

そうでもなく、

 

とにかくストレスをぶつけたい

わけですから、

急に「家が散らかってるな」なんて

思い始めて家をまったく片付けない被害者、

ということにして同じように怒りを

ぶつけます。

 

結局被害者とかかわりのないところで

起きたストレスでも、爆発した怒りを食らうのは

被害者ですから、

被害者が対処しようとしても

どうにもならないことのほうが多いのです。