自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害を自覚すると

自己愛性人格障害の「自覚」というのは、

目が覚める、といったほうが的確かもしれません。

 

いままで自分は夢を見ていて、

その中の自分は相手にひどいことをしていた。

 

夢だから、相手にひどいことをしていたのは

覚えていて、

自分がどういう感情でそれをやっていたかも

覚えてはいるけど、

 

結局相手を愛していたとおもっていたのも

相手を憎んでいたのも全部

「夢」だった。

 

ということです。

 

 

ですから、

自己愛性人格障害を自覚するということは、

被害者に対して「あ、この人と一緒にいたかったのは

この人のことを愛していたからじゃないんだ」

 

ということにも気づきます。

 

なぜなら、自己愛性人格障害者というのは

支配欲=愛という図式が成り立っており、

 

「自己愛」の段階で止まっているため、

「他者愛」が出来るわけはないのです。

 

この夢から醒めたような感覚がなく、

「ああ、自分がやっていたことって

モラハラだったんだ」

「DVだったんだ」とだけ気づくタイプは、

 

自覚とはちょっと遠い段階です。

 

自覚というのは、

「自分がなぜモラハラをしていたのか」

「自分がなぜモラハラをしていたことに

気づかなかったのか」

ということまで思考が及ぶということであり、

 

今までモラハラ思考に支配され

防衛機制の操り人形になってしまっていた

自己愛性人格障害者が、

 

そのモラハラ思考まで俯瞰でみれるようになった、

夢を見ていた自分を客観的に見れるように

なった、

ということになります。

 

夢とは違うたとえで言うと、

漫画の主人公が漫画の中で必死に

戦っていたけど、

あるとき漫画の世界から飛び出し

その自分が主人公の漫画を

自分で見て、

 

「ああ、こういう考えで戦っていたんだ」

と気づくような感じです。

 

ところが、人は問題点に気づいても

思考のクセや考え方の偏りというのは

なかなか修正できません。

 

自分を守るために長年染み付いてきている

ものだからです。

 

その自分を守るための機能が

人を傷つけ、自分の苦しみや苛立ちの

根本的な原因なのだと気づけば

それは非常に大きな、稀な進展なのですが、

 

今度はその思考の偏りやクセと

戦っていかなくてはなりません。

 

ストレス耐性が低すぎるという事実は

何も変わっていないからです。

 

それは今まで自分と戦うということを

放棄してきた自己愛性人格障害者にとっては、

非常に長くて苦しい戦いになります。

 

自分は他者から攻撃されているのではないか、

とか他者に感じる衝動的な怒りというのは

もう本人の思考のクセとして成り立っているので、

(そもそもそれ自体がそれまでの本人そのものを

作り出していたわけで)

 

自己愛性人格障害を自覚したからといって

モラハラがすっぱり消えるわけではありません。