自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

「友達」の数、質に固執する

「友達が多いほうが優秀」

「友達が多い人のほうが当然、

友達が少ない人よりコミュニケーション能力が

高い」というのは極論と思う人も

いるかもしれませんが、

 

自己愛性人格障害者はまさに

こういう考えに支配されがちです。

 

ただもともとは、

「自分は本当の友人なんか一人もいない」

「自分はコミュニケーションが

うまくとれない」

 

と思っている「地盤」があるので、

 

その自分の中の強烈な不安を

なんとか崩すために

「友達の数」や

「どれだけ信頼されているか」

に固執するだけなのですが、

 

自己愛性人格障害者は

実際に友人とする人数が多かろうが

少なかろうが、

 

「自分は友達が多い」

ということにしがちです。

 

ただ、

連絡をとっている人間が明らかに

少ないようだと、

 

「友達なんか必要ない。

べらべら馬鹿みたいにしゃべる

人間は嫌い」

「友達なんか深く話せる人間が

いればいい、数は関係ない」

 

という「スタンス」である、

と主張します。

 

ただやはり自分が間違っているとこいつは

言っているのではないか?とか

自分の正当性を主張しないといけなく

なった場面だと、

 

どうしても劣等感を打ち消すための

「それは本来の自分じゃない」

という打ち消しの作用が顔を出してくるので、

 

「自分はこれだけの学歴を積んでるんだぞ!!」

「これだけこっちは努力しているんだぞ!!」

という主張とともに、

「自分はこれだけ友人がいるんだぞ!!」

という主張をしがちになります。

 

「友達なんか別に・・・馬鹿馬鹿しい」

と言っているのは、

あくまで「そういうことにしている」

だけです。

 

 

被害者は、

いきなり学歴や友人の話が出てきて

今なぜこのタイミングでそんな話に

なったのか?

と思ったりしますが、

 

自己愛性人格障害者の中では

自分が間違っていると言われている

→自分が正しいということを証明しないと

(あるいはお前が間違っているのだといわないと)

→学歴が高い人間、友人の多い人間は

論理的に物事を考えられるしコミュニケーション

能力も高い

→だから、それに当てはまる自分は

こいつが言うような人間なはず

ないじゃないか!

間違っているわけが無い!

 

→実際にどれだけ学歴が高いか、

どんなに友人が多いか主張する

 

ということになります。

 

このとき、

本当に学歴が高いか友人の数が多いかどうかは

関係がありません。

 

学歴がなければ

「成績が良かった」ということに

すればいいだけですし、

それを被害者は確かめようがないのです。

 

それと同じで、

友人関係も「こういう交友関係がある」とか

「専門家の友達はこういっていた」とか

「幼馴染はこういう意見だ」とか

言ってしまえば、

 

被害者はわざわざそこまで

詮索しようとしません。

 

被害者が明らかに交友関係が広いような

人物なら、

自分もそれに負けないくらい

交友関係が広い人間で、

さらに周りも学歴が高い、などと言って

「あなたの周りの人間より

質が高い」と訴えればいいのです。

 

そして「そんなに友人が多いのに、

アドバイスしてくれる人はいないんだね」

「数ばっかり多くて中身のある人は

いないんじゃない」

と思い込めば、被害者がいくら交友関係が

広くても、無力化できます。

 

 

事実がどうであれ、

自己愛性人格障害者が

「そう思い込めればいい」わけで、

 

それを自分が正当であるという

材料にできればいいだけの

話なのです。