自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

本当の意味での恥知らず

自己愛性人格障害者は、

恥というものを感じそうになったときに、

とにかくその恥を感じないよう、

一生懸命処理します。

 

恥という感情は

自己愛性人格障害者が最も隠すべき

ものであり、

自覚してはならないものです。

 

「恥知らず」という言葉は人に

向かって言うとき、

 

そんなことをやるということは

それを恥だとも思っていないと

いうことか、

恥を知って改めろという意味で言われると

思いますが、

 

それくらいやっている本人は

恥とも思わず、平然とそれを

やってのけるわけです。


自己愛性人格障害者は、度々

「そんなことを言って恥ずかしくないのか」

というくらいの自惚れの言葉を

出したりします。

 

 

「自分はこれだけ評価されている」

「これだけ才能がある」

「こんなことを言われたから

よほど期待されている」

「こういう学歴がある」

「こういう高い成績をおさめていた」

…と様々ですが、

 

色々と理由をつけて

結局責任を逃れて

恥ずかしくないのか?

という場面もあります。

 

とにかくひたすら脅しをかけて

「お前がそうしないなら

こっちはこういう手段があるぞ!」

ということを次々と

条件を並べて、

 

そんなに必死になって

恥ずかしくないのか?

というところですが、

ここは全く恥ずかしくはないわけです。

 

もちろん別れる別れないの話になり

自己愛性人格障害者が執着しているときだと、

「いろんな理由をつけて

離れることを認めようとしないが、

ただフラれて傷ついている

だけでは?」

ということを考えるのが当然で、

 

自己愛性人格障害者が

「そうじゃない!離れるなら自分が

納得できるように説明すべきだろ」

「一緒に生活してるときから

散々だったんだ、

それ相応の態度で返してもらわないと」
といくら思っても、

結局第三者の答えが的を得ているのです。

 

 

つまり自己愛性人格障害者にとっては

「自分がフラれるような人間」

という事実は恥なので、

フラれるだなんてまず

予想も出来ませんし

嫌いだと言われても

それを本当の意味で認めるわけには

いきません。

 

 

別にフラれることは恥というより

合わなかっただけですから、

恥に感じることはないのですが、

自己愛性人格障害者にとっては

間違いなく恥なわけです。

 

さらに悪どい部分を相手に投影して

背負ってもらっていたわけですから、

それがいなくなるとなると

余計に必死にならざるを得ません。

 

 

で、その「自分がフラれるような人間」

「自分は他人に惨めな部分を引き受けて

もらわないと生きていけない」

という恥、自覚を避けるために、

 

「相手に何度も電話する」とか

「自分がいかに愛していたか

長々とメールに書き連ねる」とか

「急にロミオメールにて

自己陶酔する」とか

「前言撤回し脅迫しはじめる」とかいう

他の人からすると

どう考えても恥ずかしい行いを

生み出してしまいます。

 

 

「自分はどこからどうみても

最良の夫(妻)なのに!」

「子供にとって最良の父親(母親)なのに!」

と堂々と言えてしまったりします。


どう考えても、「フラれた恥を
認めたほうが楽だし
労力もかからない」のに、

 

そういう恥をかく耐性もないために、

そもそもモラハラ思考で

その恥を感じず怒りに転換するしかないため、

余計恥をかくはめになるわけです。

 

が、その恥も自覚することはできません。

 

あくまで被害者や周りが、

「そんなこと大々的に言って

恥ずかしくないのかな…」

と感じるしかなく、

 

自己愛性人格障害者は
自分が気づかない間に
本当の意味での恥知らずに
なってしまっていることになります。