自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者が共感能力がない理由

自己愛性人格障害者は、

他人に対して共感することが

できません。

 

当然のことながら、いちいち

「あなたの気持ちがわからない」とか

「なぜ怒っているのか

意味がわからない」

とどこででも言うことのメリットは

ないので、

 

共感する必要があれば共感するフリ

(共感しているような気分)はしますし、

そんなことをわざわざ必要もないのに

言ったりはしません。

 

共感しているつもりではいるのです。

 

ですが、他者を「自分とは違う存在」

としてはっきりと捉えることの

できない自己愛性人格障害者ですから、

 

「相手が悲しそうだ」

「なんだか辛そうだ」ということを

視覚的情報で入力することは

出来たとしても、

「相手の心は悲しいのだ」

という感覚がよくわかりません。

 

自分の感覚(主にみじめな、弱い、

ずる賢い)が相手に映されるので、

相手が悲しんでいる様子を

見せていても、

あくまで相手は「こずるいことを

考えている」対象としてしか

捉えられません。

 

ですから相手がいくら精神的に

ボロボロな状態に

なっていたとしても、

「相手の心は本当に辛いのだ」

と認識することが非常に

困難であるのです。

 

 

ですから自己愛性人格障害者はしばしば、

「お前が辛いはずがない」

「お前が辛いという事実自体がない」

と口にすることがあります。

 

被害者が辛さを訴えれば訴えるほど、

自己愛性人格障害者の

「お前が辛いという事実はないくせに」

という主張も強くなっていくでしょう。

 

この、「相手が辛いという

事実自体がない」と確信する感覚は、

他人との境界が曖昧な人間にとっては

非常に特徴的です。

 

他人のことは誰にもわかりません。

他人が何を考えているのかなんて

心を覗きこまないとわからないわけです。

 

ですが人間にそんな力はありませんから、

現実として他人の心を知るのは

不可能です。

 

しかし人間は表情や態度でヒントを

出しますから、

ああこれは傷つくのだ、

ああこういうことは喜ぶのだと

色々相手の表現を見ながら

コミュニケーションを変えていきます。

 

「たとえ自分が怒っていたとしても

相手も怒っているわけではない、

だって自分が怒っているのは

相手には関係ないし…。」、

「自分が楽しくても

相手は悲しんでいるかもしれない。

相手は辛いこともあったし…」

 

それは、自分と他人は別の存在なので

当たり前の話です。

 

ですが自己愛性人格障害があると、

自分が面倒くさいと思っていれば

「相手は面倒くさいと思っている!」

と確信しますし、

 

相手がボロボロだったとしても

そもそも自分がボロボロだという

感覚がないので、

「精神的にボロボロだなんて

何いってるんだ?そんな事実ないくせに」

と確信してしまいます。

 

相手の気持ちを汲み取って共感が

成り立つのに、

そもそもその相手の気持ちだと確信して

いるのが実は「自分の気持ち」であるので、

その自分の気持ちに覆い隠され

見えないのです。

 

しかもそれは自己愛性人格障害者にとって

あくまで「相手の気持ち」であって、

そんなこと自分は思ってもいない、

という認識です。

 

なにか自分がよからぬことを考えていても

それを考えているのは

自分じゃなく相手で、

それが自分のものだと気付くことが

できない仕組みになっています。

 

ですから

肝心の「相手が本当に

考えているであろうこと、

本当の気持ち、真実」

がいつまでも理解できません。

 

相手が別の存在だとはっきりして

いるからこそ「こういう気持ち

なのだろう」と予想するのに、

 

相手が別の存在だと思う感覚が

曖昧で相手の気持ちを「こう考えている」

と確信してしまいます。

 

確信するのは当たり前ですね、

それは紛れもなく自分の気持ちであり

自分の考えなのですから

確信して当たり前ですし

疑いようがないわけです。

 

 

「きっとこういう気持ちなのだろう」

という予想をしようとすらしない、

つまり共感しないし

共感しようとする必要性さえ

感じないのです。