自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者の被害妄想のもと

自己愛性人格障害者はとにかく

“自分そのものが傷つけられないか?”

“自分が貶められないか?”

ということに非常に敏感です。

 

そしてそれこそが

被害妄想のもととなります。

 

たとえると、

いつも誰かが拳銃と取り出し

自分の精神を撃ち殺そうとしている、

そういう切迫感があります。

 

もちろん誰も自己愛性人格障害者の人格を

殺そうとはしていません。

 

ただ昔、自己愛性人格障害者の

人格形成・自我の形成の段階で

他の誰か重要な存在から

拳銃をつきつけられ、

精神を傷つけられ続けた過去があります。

 

ですから必要以上に敏感にならなくては

なりません。

 

でないと自分の精神が死ぬか死なないかの

瀬戸際、瀕死の状態だからです。

 

瀕死の自分を守るには誰が自分に

拳銃を突きつけようとしているか?

常にアンテナをたてて見張っておかなくては

なりません。

 

そういうよからぬことを考えている人間には

自己愛性人格障害者自ら拳銃をつきつけ、

脅しをかけておかなくてはなりません。

 

やられる前にやらねばなりません。

 

その拳銃こそがモラハラなわけです。

 

モラハラを使って“自分の精神を

脅かすなよ”と相手に伝えます。

 

ちょっとした傷をつけられるだけでも

瀕死の自己愛性人格障害者にとっては

アウトですから

自己愛性人格障害者は必死です。

 

拳銃を突きつけるのは、あくまで正当防衛です。

 

自己愛性人格障害者にとっては

致し方ないことなのです。

 

 

ターゲットが自己愛性人格障害者に向けて

ポケットから何かを取り出そうとしています。

 

この時点で、自己愛性人格障害者は

“おい、こいつは拳銃を取り出そうとしているぞ!”

“こちらの精神を脅かそうとしているぞ!”と

思いこまなくてはなりません。

 

それが現実世界では

「思い込みが激しすぎる」

「被害妄想」

と呼ばれるのですが、

これこそが自己愛性人格障害者を守る

手段なのです。

 

でないといざ撃たれそうになったときに、

自分を守ることが出来ません。

 

自分が先にターゲットを撃てるように、

そして「撃ってもいい」ように

証拠固めをしなくてはなりません。

 

“お前はさっきこう言った”

“お前はあの時ああやった”

“これこそが自分を撃とうとしている

証拠だ!”

 

ターゲットは、拳銃(モラハラの手段)など

もってもいないし、

ただ違うものを取り出そうとしていただけなのに、

 

“お前が取り出そうとしたのは

こちらへの攻撃性”

“邪魔しようとしている”

と決め付けます。

 

ターゲットはわけも分からず困惑するしかないので、

自分の言い分を伝えるしかないのです。

 

しかし自己愛性人格障害者は

油断するわけにはいきません。

 

なぜなら過去、

自分に拳銃をつきつけてきた人間も

「そんなつもりはない」と言いながら

攻撃してきたからです。

 

 

ターゲットが持っているのは拳銃で、

その拳銃でこちらをいつでも

狙おうとしていると考えます。

 

でないと、正当防衛として

相手を先に攻撃できないからです。

 

 

自己愛性人格障害者の拳銃(モラハラ)で

相手を撃つには正当性が必要で、

それがないと暴発し、自分の精神が

逆に傷ついてしまいます。

 

撃たれる前に、撃たなくてはなりません。

 

ですから常に、

“相手が常に拳銃を取り出そうと

しているのではないか”

“つきつけようとしているのではないか”

ということだけに神経を尖らせなくては

なりません。

 

そもそも拳銃と間違うようなものを

相手が持っていること自体、

そういう素振りを見せること自体を

おおげさに非難します。

 

だから、相手が何を持っているか?

どういう手段を持っているか?

自分を貶めようとするようなものを

持っているのではないか?

洗い出して監視しなくては気が済みません。

 

そして“誤解する自分が悪いんじゃない。

誤解されるような材料を持つお前が悪いのだ。

拳銃で撃たれそうになったら誰だって

正当防衛するだろう”

 

と訴え続けます。

 

拳銃で瀕死になるまで

精神的に追い詰められた経験がそれまでない

ターゲットは、

 

自己愛性人格障害者が

そこまで被害的に物事を考える意味が

理解できません。

ただ被害妄想が強い、自意識過剰に見えるだけです。

思い込みの激しい病気なのではないか?

と思うことさえあります。

 

なぜなら一般社会で人を瀕死にしてしまうほどの

攻撃をしてくる人間に出会ったことがなく、

被害的に見える、目の前にいる自己愛性人格障害者自身こそが

人を瀕死にしてくるような攻撃性を持った人間だからです。

 

「自分がひどい攻撃性を持っているのに

なぜこんな被害者面なのだ?」と思うわけです。

 

ナイフで攻撃してくるような人間はいても

そこまで切迫感を持って拳銃(モラハラ)を

突きつけてくるような人間は

居ません。

 

ターゲットにとっては

“正当防衛だ!”と勝手に興奮し

拳銃をつきつけてくる

目の前の人間こそが

おかしな人間に見えます。

 

ちょっとでも撃たれたらおしまい、

と思っている自己愛性人格障害者にとっては 

“すべてのものが拳銃を持っていて

いざとなればこちらを狙っている”

と思い込んでいたほうが、

楽ではなくても自分の精神は死ななくて済むのです。

 

でもそれは、そのことだけに

敏感になって

生きていかなくてはなりませんから

“楽しい

とか

“幸せ

などとは程遠い生き方になってしまいます。

 

しかも自分が瀕死だと思えば

それ自体がストレスになり精神の死を

迎えますから、

その事実も見ないようにして

生きていかなくてはなりません。

 

“学歴”、“成績”、“優秀さ”もヨロイとなります。

“正義のヒーロー”にみえるヨロイです。

これを着ているだけで、

攻撃しても自分のほうが正当にみえます。

 

しかし脆いヨロイなので

完全に安心は出来ません。

 

ヨロイを着ないと生きていけない

自分も認めてはダメです。

 

すべてはその瀕死の状態が招いている

ことなのです。

 

“被害妄想”というのも

自分の拳銃が暴発しないための

ひとつの装置です。

 

自己愛性人格障害者は

いまさら拳銃(モラハラ)は捨てられません。

 

丸腰でこの世を生きるなど、自殺行為だからです。

 

 

誰かの不可抗力で

ちょっとしたダメージを負うだけでも、

瀕死の自己愛性人格障害者にとっては

強烈な焦りと

ぶつかってきた相手に恨みを覚えます。

 

他人の体力を思いやる余裕はないのです。