自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

ナルシスト(ナルシシズム)とはなんなのか

自己愛性人格障害とナルシシズムというのは

密接な関係があります。

 

“ナルシスト”というものの世間一般の印象は、

 

“自分が好きすぎる人”

“いかにも自分の容姿や

考え方に酔いしれているひと”

という様相が多いかと思います。

 

自意識過剰な人。いいイメージはもちろん

ありませんし、いい意味で

ナルシストという言葉が

用いられることは少ないでしょう。

 

つまり、“第三者からみても

恥ずかしくなるほどうぬぼれているのに”

“けれども当の本人は恥とも感じていないような、

自分が尊大なのがさも当たり前のような” 

そういう印象を受けます。

 

本人の自分に対するイメージが、

第三者からのイメージに比べて

かなり誇大になっている状態、

というのが世間一般の見解かと

思います。

 

 

ここで、ナルシストという言葉の本当の意味を

理解するには、

“自分が大好き”という感情よりも遥かに

自分に対するイメージが誇大になりすぎている

状態である、

ということを認識しておかなくてはなりません。

 

“自分は万能である”とか

“自分ほど才気にあふれすべてが揃っている

完璧な人間はいない”とか

そういう状態です。

 

ですから、“自分が大好き”というだけでは

ナルシストにはほど遠いわけです。

ナルシストというのはもっともっと

誇大な自分を自分の中に描いています。

 

 

自我が確立した人間というのは、

自分の長所も短所も

理解しているのと、

その短所も自分の一部として

認められるほどの強さを

持ち合わせていますから、

 

いくら自分が好きでも

いくら自分が嫌いでも

限度があるわけです。

 

そして自分は自分、他者は他者ということも

わかりますから、

“自分は万能である”などということを

表出することで相手も妙な心境になる、

自分も恥になる、

場の空気も微妙になるということも

よくわかります。

 

そもそも自分が万能ではないのも理解できるし

万能でなくてもそれは別に自己に関わるほど

重要なことではないのでどうでもいいわけです。

 

 

ではなぜ、本物のナルシストというのは

“万能感”が生まれるのでしょうか。

 

答えは劣等コンプレックスにあります。

 

このブログではよくこの“強すぎる劣等感”を

取り上げるのですが、

 

強すぎる劣等感が強すぎる優越感を生み出す、

ということもお伝えしてきました。

 

ただ「劣等感が優越感に変わるって

どういうこと?」

「劣等感と優越感は真逆なのでは?」

とピンとこない人も多いかと思いますので

少し掘り下げて説明します。

 

強すぎる劣等感というものが

どれほど「強すぎる」かというと、

自己そのものを脅かすほどです。

 

なぜ強すぎるかというと、

そもそもその劣等感に耐えられるほどの

自己の確立がないからで、

 

「その劣等感があっても、

自分は自分」といえるほどの

「自分」が成り立っていないからです。

 

自分にかなり自信がなくても、

人は「自信がない自分」というものを

認識するだけの強さは持っている人が

大半です。

 

人間というのは、万人に「防衛機制」というものが

備わっています。

 

その個人の心がストレスに負けて死んだりしないように、

“その本人にとっては”ものすごく役に立つものです。

 

人が劣等感を抱えたりストレスが加わるたびに

立ち直れなくなるほど打ちひしがれたり、

「自分は生きている価値がないほどみじめだ」と

思っているたびに人が死んでいたらこの世に

人間はいなくなるか精神疾患を持つ人が

ほとんどになるでしょう。

 

劣等感が強いと自己が確立されなくなり、

自己が確立されていないと、

またその劣等感に自己が常に脅かされる

状態になり、劣等感はさらに強くなり、

 

そのぶん劣等感やストレスを防衛機制が

跳ね除ける、個人を脅かさないように

認識させないようにする必要があります。

 

自我が成熟していればいるほど、

社会に適応する形で防衛機制を働かせる

(つまりストレスや劣等感を

社会に受け入れられる形でうまく処理する)

ことが出来るのですが、

 

自己愛性人格障害者のように

“そもそも自己が確立していない”部類の人は

“社会に受け入れられる形での防衛機制”

の方法を知りません。

 

しかも「友達が少ないのがコンプレックス」とか

「コミュニケーションがとれないのが

コンプレックス」という

部分的なものではなく、

 

“ともかく自分そのものが不完全である”

という自己自身に劣等感を抱いているわけです。

 

それを認識してしまえば

精神が崩壊してしまうほどの劣等感なので、

 

防衛機制が

“いや、みじめじゃないし!!!”

“そんな事実はどこにもないし!!!”

“だって自分はこんなことも出来るんだから!!!”

と、本人に「思わせ」ます。

 

劣等感に対する強い否定、

劣等感を認めない防衛機制です。

 

この否定がそれほど強くないと、

強すぎる劣等感から

目をそらすことができないのです。

 

この

“自分は生きているだけで人の害になるだけの

まったく価値のないみじめな人間”

という「生きているだけで罪」

と言わんばかりの強すぎる劣等感を、

 

心が警報を鳴らして

なんとかして気をそらそうとし、

 

“そんな人間なんかじゃない!!!

そんな事実はない!!!”

という強い否定のエネルギーを生み、

ありとあらゆる防衛機制を働かせ、

 

そのエネルギーこそが、結果的に

“生きているだけで人の役に立つ、

価値のある素晴らしい誇大な存在”

であると

自己愛性人格障害者に強く思わせる・・・

本当のナルシストを生み出す

要因になるわけです。

 

“ミスばかりして正しい仕事ができない

自分”という強い劣等感も、

防衛機制が心で強い否定を生ませ、

 

“そんな些細なミスを自分がするはずがない

(そうじゃないと生きている価値がない

ということだからだ)”

“ミスの原因は他人だ!(そうじゃないと

生きている価値がないということだからだ)”

“ミスをするような理不尽な仕事を与えた

相手のせいだ!(そうじゃないと

生きている価値がないということだからだ)”

 

という強いエネルギーに変えられます。

 

それらの単独のエネルギーは結局

“自分は些細なミスひとつしない、

ミスを生まない、他人のミスを生むような

仕事を与えたりしない、完璧な人間”

という誇大な自分を生み出すきっかけになります。

 

 

現実的に

“些細なミスひとつしない完璧な人間”というのは

ありえないのですが、

 

そう強く思い込まないと

些細な劣等感(自分はミスをする人間という事実)に

自己が殺されてしまうからです。

 

 

これも防衛機制がなせる業であり、

劣等感が優越感に成り代わる状態というのは

それだけ自己が危機的状況にあると

心が判断していることになります。

 

 

つまりナルシストというのは、

劣等感が強すぎて

防衛機制がその個人を守るために生み出した

幻想の中を生きる人(生きていかなければ

ならない人)と言えます。

 

防衛機制に支配されていたのだと

認識できない限りは、

ナルシストはいつまで経っても

ナルシスト、つまり自己愛性人格障害者という

枠から逃れられないということです。