自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

謝罪もモラハラのうち

自己愛性人格障害者の

謝罪についてよく取り上げるのですが、

 

みな自己愛性人格障害者の

謝罪にコロッと引っかかってしまうのは、

人間に良識があるから、

モラルというものがあるからです。

 

しかも

謝っているほうが

土下座したり

号泣しようものなら、

 

明らかに許さざるをえない

状態になりますね。

 

だってだいたいの場面で

土下座されたり

泣きまくって謝罪していると、

 

それを「させている」ほうが

悪者であったり高圧的に

みえますし、

 

更にその上

「それでも許さない」というのは

明らかに

「心が狭そう」

「謝罪を受け入れない冷たい人間」

にみえます。

 

被害者やまわりは、

自分で自分のことを

そうは思いたくはないので、

 

「許さない」という選択を

することは非常に少ないです。

 

分かっていても、

いざ謝罪されたり反省した様子を

見せられると、

頭では「また同じことするだろう」

と思いつつ、

 

心は痛み、

「かわいそうだ」

「これでは突き放せない」と

感じてしまいます。

 

罪悪感を持ってしまうのです。

 

 

しかし、

自己愛性人格障害者にとっては

「暴言が相手をコントロールするのに

最適だな」

と判断すれば暴言、

「謝罪が相手をコントロールするのに

最適だな」

と判断すれば謝罪、

 

といった感じで選択しているだけなので、

 

「暴言したのは悪かったから

謝罪しよう」という理由で

謝罪しているわけではないのです。

 

もちろん本人は、

「暴言したのは悪かったから

謝罪しよう」という理由で

謝罪していると思い込んでいますが、

 

本来「コントロールするために」

やっていることなので、

 

謝罪してもいつまでも

相手をコントロールできなさそうだと

謝罪は確実に撤回します。

 

ちなみに、

自己愛性人格障害者に

罪悪感はありません。

 

ですから、

逆に被害者が泣いて謝っても

土下座しても

そこで罪悪感が生まれることは

ありません。

 

ですから自己愛性人格障害者は

被害者が謝罪しても

「そこで許す」なんてことは

とにかくありません。

 

自己愛性人格障害者が

自分の行動化に納得した時点で、

勝手に許してやる、

という構図をとるだけです。

 

自己愛性人格障害者にも

「情けがある」とか

「傷ができた」

「かわいそうだ」

と思った時点で、

 

周りの人間は自己愛性人格障害者の

思うつぼです。

 

自己愛性人格障害者は、

「猛省している気分」には

いくらでもなれるのですから。

 

 

「こんな人にも

良心の欠片がきっとあるのだ」という

心の隙から、

 

またそのうちズカズカ土足で入り込み

被害者の心を荒らすように

なるでしょう。

 

被害者が常識にこだわったり

「普通」にこだわったりする

人間であればあるほど、

そこを弱味としてつけこまれます。

 

人が人を傷つけないための

モラルが、

 

自分を苦しめるモラルになるのです。

 

どんな人にでも

救いを与えるべきだという考えは

とても立派ですが、

 

それを利用せざるをえない

人間は確かに存在し、

とても巧みに弱者を演じ、

被害者に強烈な罪悪感を植え付けながら

手加減なく踏み込んでくるということを

理解しましょう。

 

 

なぜ泣き、謝り、

反省の弁をのべ、

愛を語るのかというと、

 

他人のその「この謝罪と愛の言葉を

無視したら心が痛む」という

1%の隙が生まれるのを

よく理解しているからです。

 

逆にいえばそのためだけの、

謝罪の言葉なのです。