自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

なぜ過保護と過干渉はなぜ自己愛性人格障害者を生むのか

過保護と過干渉は、

言葉はあまり良い印象を受けませんが

実際にそういう他人をみると

一見愛情に溢れているように見えます。

 

それは、虐待とは程遠く感じる人も

いるでしょう。

 

なぜなら虐待というのは

無関心、攻撃性を

露にしたものであり、

 

過保護と過干渉というのは

それとは真逆のものに

感じるからです。

 

過保護、過干渉は関心がないどころか

関心が強くて

口を出したりしてしまう状態、

 

心配になってしまう状態というのを

誰もが想像します。

 

ここで理解しておかないと

いけないのは、

 

それは干渉する側が「心配だから」

「こちらの義務だから」

「他人様に迷惑をかけると

よくないから」

と大体口を揃えて言うので、

 

みな「それはそうだよね」と

信じてしまっているだけです。

 

自己愛性人格障害者でなくても、

「ただ相手をコントロールしたいだけ」

「親離れをしてほしくないだけ」

で子供に対して過保護になったり

過干渉になったりします。

 

 

一人暮らしなんて、お前が

生活していけるか心配、

けどいいんだお前のためだもの、

好きに暮らして生きなさい

親はただの踏み台だ。

 

と言って涙を流し、一人立ちに対して

罪悪感を植え付け、

実家に居るようにしたうえ就職先まで

都合をつけるとしましょう。

 

これは、

「独り立ちしてほしくない」

という親の意向を

こどもが汲み取ったものです。

 

その親が、

涙に訴えて

こどもの判断の自由を奪っているわけです。

 

親は心配して、こどもを愛しているように

見えますが、

本当は「子ども自身」には無関心なわけです。

 

なぜならこども自身がどうしたいか、

どう考えているかは

そっちのけだからです。

 

むしろ、

どうしたいかなんて意見が

出てくることを

恐れているような素振りさえ

みせます。

 

こどもがそこに違和感を覚えれば

まだ救いはありますが、

違和感なく「親がかわいそうだな」と

思って一緒に暮らしていけば、

 

確実に自分が何をしたいのか

どう考えているのか、

周りにもよくわからないような

こどもになるでしょう。

 

こういう親は、

「こどもと分離したくない」という

自分の気持ちを優先し、

「心配だ」という言葉を使います。

 

そしてこどもの自立の機会を奪って

いくわけです。

 

 

「溺愛がよくない」と言われるのは

単に甘やかしたり愛しすぎるのは

よくないという意味ではなく、

 

「こどもの判断の自由を奪うほど

愛を理由にして自分の欲求を

押し付けてはならない」

という意味です。

 

 

そして自己愛性人格障害者が

生まれるほどの過保護や

過干渉というのも、

 

ただ単に「甘やかしすぎたら」

「チヤホヤされすぎたら」

自己愛性人格障害者になると

いうわけではなく、

 

「お節介により、

度々自己否定され続ける」ことにより

自己が形成されなくなるものです。

 

こどもの意見を聞かずに、

答えをすでに準備して

その答え以外を受け付けない。

 

「こうするべき」

「こっちのほうが絶対いい」

「こうしないのはおかしい」

「こうするのが普通」

 

それは、服の色から

成績、受け答えまで

干渉する場合もありますし、

 

自分がどうでもいいと思っていることに

ついては無関心だったりと

むらがあります。

 

そしてそれを「愛だから」

「発信するのは自由だから」

と押し付けてしまうわけです。

 

これも、

「こうさせなくては、コントロールしたい」

という欲求を優先させ、

こどもの自己形成の機会を完全に

奪うことになります。

 

こどもが自我の芽生えにて

親と距離を取ろうとしても、

 

こどもと分離したくない親は、

とにかく近づいて

その分離をなんとかして

徹底的に潰そうとします。

 

親が自己愛性人格障害者の場合は、

分離というのは余計に

認められませんから(自分とこどもが

別存在というのは

自分の危機ですから)

 

分離しようとするその

行い自体を潰そうとします。

 

どう潰すか、というと

コントロールしようとします。

 

同じように罪悪感を引き出すか

(お前は親にこんな思いさせて、

こんなに悪者だぞ、

お前はこんなにひどいことを

しているぞ)、

 

被害者側になったり(そんなことされて

自分は辛い、悲しい、

こんなに頑張ってるのにと訴える)、

とにかく愛してるから心配なの!

言う通りにして!!

とひたすら言うのみか、

 

 

おまえそれおかしいよ?こうしたほうが

いいのに、なにかんがえてるの?

と小馬鹿にしたような態度をみせるか、

自分がいい手段を教えてやろう(おまえを

正しい方向に導いてやるから

言う通りにしなさい)、という指導タイプとか

手段はいろいろですが、

 

とにかく自分と分離しようとする

こどもに対してそれを許しません。

 

上記の場合は無関心などとは

また違うようにみえますが

支配欲は持ち合わせているということに

なります。

 

いくら自我が芽生えそうでも

コントロールができれば

「やっぱり同じ存在」として

分離は阻害されているのですから。

 

過保護、過干渉というのは結局

押し売りのような状態で、

欲しくもないものを

さも完全無欠の商品のように

押し付けているだけで、

 

それは「あなたにとってもいい商品なの!

なぜならこれを受けとれば

こんなメリットがあるの!」

と言いながら、

 

本当は自分が押し付けたいがために

押し付けているだけ、です。

 

そもそもこどもが欲しくもないものを

押し付けて買わせないと

落ち着かないわけですから、

こどもが何を欲しがっているかなんて

本当はどうでもいいということです。

 

あくまで、自分の考えは自分の考えで

しかなく、

相手の考えにするべきではないし

相手は必ずしもその考えを

欲しがっているわけではない」

というのがわからない。

 

つまり、溺愛のように見えて、

愛してはいない、

相手のことはどうでもいい、ということです。