自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者とターゲットはなぜ相性がいいのか

自己愛性人格障害者と被害者というのは、

お互いに引き寄せあう関係であることは

間違いありません。

 

抜群の相性ということです。

 

 

もちろん、自己愛性人格障害者は

自我が確立していませんから、

そういう意味では「相性がいい」というのは

おかしな話で、

 

自己愛性人格障害者の自我が確立したときに

果たして被害者を選ぶのか?

というとまた違う話になってきますし、

 

被害者にとってもモラハラ気質を

理解した後では

さすがに相性がいいなどと考えたくも

ないですが、

 

とにかく自我の確立していない人間にとって、

被害者というのは精神的な距離を

ぐっと近づけやすい存在ですし、

 

被害者にとってもまた

自我の確立していない人間が行う

「自分はこういう人間なのだ」

「こういう信念があるのだ」

という強い主張に惹かれやすいと

いえます。

 

 

自己愛性人格障害者は、

「ターゲットとの分離を極端に嫌う」

という特性があります。

 

つまり、

自我を他人に出されると

それを押さえ込もうと必死に

なりがちになるということです。

 

しかし現実的に自分は自分、

他人は他人というのは変わりませんから、

 

当然、自分は自分だけの時間、

他人は他人だけの時間があって

それぞれの都合があります。

 

生まれたての赤子のように

母親に抱っこされて

世話をしてもらい

ずっと同じ時間を過ごす

わけではありませんし、

 

母親役の人間の時間や体を

占有することが

許されるわけでもありません。

 

他人は誰しも

「自分の母親役」なんてことは

現実としてはあり得ないことで、

 

それぞれに自我があって、

自我を出す権利があって、

それぞれの時間を過ごす権利があって、

あるときは他人の都合を加味しつつ

あるときは自分の都合も優先させる

権利もあります。

 

誰しも自分のために

生きているからです。

 

しかし自己愛性人格障害者にとって、

そんな都合を優先させてしまう、

つまり人権というものを尊重してしまうと、

 

「分離したくない、分離できない

(自我をもつ方法がわからない)」

という現実をもろに受け止めるはめに

なりますから、

それは避けなければなりません。

 

人権は尊重できないということです。

 

しかし人権を尊重できないような人間、

という現実も受け止めることは

できないので、

 

他人の人権を優先する自分、

というのが自己愛性人格障害者のなかに

出来上がります。

 

ということで、

自分を犠牲にしてまで

他人のことばかり優先している自分、

というのがここで出来上がります。

 

なので、被害者を支配しつつ、

自分ばかり犠牲になっている!

という第三者からみると

訳のわからない主張が

生まれてくることになります。

 

 

とにかく、他人の自我を

見たくはないのです。

 

しかし先述のとおり、

人はいろんな時間を過ごす権利があり、

自我を出す権利があります。

 

自己愛性人格障害者を

常に赤子のように見て

心配しているわけには

いきませんし、

 

自己愛性人格障害者の要求を

毎回のんでいるわけにも

いきません。

 

自分の体調や生活リズムも

考えないといけませんし、

付き合いもあります。

 

自分の家族との関わりもあるでしょうし、

自分のやりたいこと、

やらなくてはならないことも

出てくるわけです。

 

しかしそれらの自我を押さえ込むのが

大得意なのが、

「被害者資質をもつ人間」

です。

 

被害者資質があると、

自分の権利を喜んで差し出したり、

その権利を放棄する変わりに

なにかを得ることを望みます。

 

被害者資質のある人は、

そもそも自分の自我を出すことを

「恥」と思っていたり、

自我を出しても成功した試しが

ないことが続き、

 

無意識に自分が

ああしたいとかこうしたいとか

そう思うことを抑え込むくせが

出来ています。

 

そのうち、

自我の出し方が分からなくなり、

ああしたいという欲求ばかりが

膨らみ、

しかしそれを抑え込むのも慣れているという

そういう人格が完成します。

 

自我を出すことさえ諦めます。

自我を出さないほうが

親との関係がましな結果になり、

他人との関係がうまくいくことが

多かった場合(本人が、このほうが

争いがなくて済むと思っていた場合)は

特にこの傾向が強くなるでしょう。

 

自我を出さないかわりに

相手を優先し関係性を作ろうとする、

ということは被害者資質をもつ人にとっては

朝飯前です。

 

しかし当然ながら

被害者も自分の欲求を押さえ込もうとしても

ずっとは続かないこと、

限界があることに気付きませんから、

どんどん苦しくなってきます。

 

被害者資質がそこまで

強くなくても、

他人を優先することの多いひとは

被害者になりやすいですが、

 

被害者資質の人はまさに

「自我を抑え込む」ことこそが

関係性を成り立たせる主な

ツールなのですから、

 

「自我を出してほしくない」

自己愛性人格障害者にとっては

うってつけの相手といえます。

 

 

そして被害者にとっても

自我を抑え込みやすい自分と比較し、

物事をはっきり言ったり極端すぎるものの

考え方が個性的に感じる

自己愛性人格障害者は、

 

「自我を前面に出している」

ように見え、

憧れの対象になりやすいです。

 

自己愛性人格障害者はただ

「自分はこういう人間で、

これが嫌いなのはこういう理由からだ」

「自分は独特の感性をもった存在だ」と

思い込む必要があるので

その思い込みのまま発信しているだけなので

曖昧な物言いにならないだけなのですが、

 

それが自我を出している、

個性的な考え方をもつ、

考えのはっきりとした魅力的な人、に

見えてしまいます。

 

こうして、加害者が

自己愛性人格障害者ゆえに、

被害者が被害者資質をもつゆえに、

巡り会えばお互いに惹かれあうのは

必然ともいえるでしょう。