自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

「凶悪な人間」とはなんなのか

自己愛性人格障害者や、

境界性人格障害に言及するとき、

 

どちらも被害者という

立場の人間が存在していて、

それら抜きにこれら人格障害については

語れません。

 

投影という防衛機制が

浮き彫りになってしまう以上、

対人関係において、かなりの

障害が出てくるからです。

 

ところが、

被害者は被害者なのですが、

どの被害者も、

 

それら「自己愛性人格障害者」

「境界性人格障害者」に対して、

最初からいい印象はなかった、

最初から凶悪な人間だった、

 

という人はいないはずです。

 

いずれかの段階で、

被害者も「あれ?」と思うようになり、

色々とやっていることや

言っていることを統合していくうちに、

 

「あれ?やっぱり薄々と気づいていたけど、

これってモラハラなのでは?」

「これって破壊衝動で

ああしているのでは?」

と徐々に気づいていくものです。

 

モラハラに気がついても、

やっていることやいっていることが

あまりに酷くても、

「凶悪な人間」に見えないことも

あるでしょう。

 

ストーカーに対しても、

「頭のよほどおかしな人間」がすること、という

イメージがあるので、

 

自分がストーカー行為をされていても、

「きっといつかは理解してもらえる」

「これはストーカーではなく

痴情のもつれだろう」と

いつまでも我慢する被害者が

いるのも確かです。

 

とりあえず、

「凶悪な犯罪者」とか

「わけのわからない危ないストーカー」とか、

「いじめはよほど陰湿な人間がすること」とか

「モラハラは相当非人道的な人間がすることで

自分の彼(彼女)はたまに優しいから

そんな非道な人間ではないと思うのだけど」とか

 

自分の想像上の生き物のイメージを

我々はどうにかして

壊さなくてはなりません。

 

凶悪な犯罪者、とか非常におかしなストーカー、

というのは個人が作り出している幻想で、

 

確かにそういう人物もいるかもしれませんが

それは自己愛性人格障害者よりも

はるかに少ない、

ほんの一握りの人間です。

 

メディアではクローズアップされますから、

そういうイメージが出来やすいですが、

 

ストーカーというのは

ストーカー気質があれば

誰でもストーカーになりえますし、

自己愛性人格障害者も間違いなく

モラハラを起こします。

 

そして、

被害者は間違いなく被害を被っています。

 

ストーカーはストーカーで、

モラハラはモラハラです。

 

そこに、「凶悪」とか

「凶悪でない」とか、

「頭はおかしくなさそうだから」とか

そういう自分基準を持ち込むのは

人の心理として仕方ないことではあります。

 

ですが、被害に遭っている自分の

その感覚と辛さを大事にしないと、

 

いつまでも

「ただ意味もなく暴力を振るうような

凶悪な人間ではないから」

「相当頭のおかしな人間がやることだろうけど

うちのパターンは違うから、ちゃんと理由が

あるのだから」と

 

空想上の凶悪な人物と比較して

苦しい思いを続けるはめになります。

 

 

「すべてをただぶち壊してやる目的で」

悪を語りながら凶悪犯罪を起こすような人物は

ほとんど居ません。

 

自己愛性人格障害者のように、

まるで自分が本当に正義であるかのように

振舞っていたり、

「こういう理由があって」と

自分なりの理由があると認識していたり、

 

「相手が自分を裏切ったからだ!」

「自分のことを誰もわかってくれなくて」と

悲しんでいるように振舞ったり、

 

被害者を間違いなく糾弾し

攻撃することを辞めない人たちは、

確かにいるのです。