自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

吐露

基本的にコメントの返信は致していないのですが、

久しぶりの投稿になるので

これを機に、個人的な意見をこのブログに書き記したいと

思います。

 

「どうやって立ち直ったのか?」という

コメントを先日いただきましたので。

 

 

私はモラハラ加害者の被害者として

数年を生きてきました。

被害者としての素質はあったほうだと思っています。

というより、どんぴしゃに被害者気質だったと

いえるでしょう。

モラハラの被害者、になる前は

被害者気質としてその人生を生きてきた。ということに

なりますね。

 

そしてそれはきっと今も変わっていません。

どうやって立ち直ったのか?ではなく、

今もおそらく立ち直ってはいません。

 

自己愛性人格障害者の支配から解放されて

しばらく経過して、

「もう何も怖いものは何もない」と

思っていましたが、

否定され続ける時間というのは

それだけ自分を危機にさらし続けるもので、

 

「いや、自分は正しい」

という気持ちや感覚に以前よりも囚われるように

なってしまったような印象を受けます。

 

以前よりも、おかしくないか?

大丈夫か?常識的にどうか?

ということを気にしすぎるほど気にするように

なってしまいました。

 

他人と関わるのも無意味のように感じてしまっています。

抑うつ傾向とは少し違って、

本当は自分は他人に興味がなく、

それを隠そうともしなくなった・・・

というのが正解でしょうか。

 

私は、

「被害者気質でいたくない」という気持ちから

おそらくこういう傾向になって

いっているのだろうと思いますが

(もうモラハラ気質の人を引き寄せたくない)、

 

正直言って損はしていると思います。

 

他人を信用しないことで、

よほど一生付き合いたい人間でない限りは

無意味であると考えることで、

自分の心を守ろうとしている・・・

気がします。

今はそれが必要な時期なのかもしれませんが。

何も考えずただ他人と付き合い、信用する。

そういう時期がいつかは来るのかも・・・。

 

 

自己愛性人格障害者との日々を、

もう少し記憶から引き出して

昇華させなくてはならない、という可能性もあるでしょうし、

それとももう、自分の中で終わったことなので、

そこはどうでもいいのかもしれません。

それすら分かりません。

 

自己愛性人格障害者に対して

もう恨みの念というのは

あまりありません。

ここで大体は吐き出してしまいましたし、

思い出す機会があるならまた苛苛したり

憎しみの感情がわいてきたりするとは

思いますが。

 

結局は自己愛性人格障害者も

そういうシステムに支配されている

ただ一個のもの、ですから、

当事者になると発狂しそうなほど

ストレスを溜めさせられますが

一歩外に出てしまうと、

私もただそのシステムに引っかかっただけの人間

であって、

別に彼らにとって被害者気質である人間であれば

私であろうが誰であろうが

どうでもいいわけです。

 

そして彼らも、

そのシステムをただ発動させているだけの人。

発動させなくては生きていけないだけの人。

 

かつて私たちはそれを「愛」と呼んでいました。

今考えれば滑稽だな・・・とも思いますし、

実態のない愛だな、とも思います。

 

けれどもそのとき、間違いなく私は

愛を感じていましたし、

自己愛性人格障害者自身も私を愛していると

思い込んでいたでしょう。

 

 

ですが染み付いた恐怖心や怒りというのは

消えていないのでしょうね、

まったく無関係の他人のことはどうでもいいのですが

自分と少しでも関わるような人だと

とたんに防御壁を張り巡らせるようになりました。

 

自分でも重症だな、と思います。

ストーカー被害にも遭ったことも

影響はしていると思います。

いまだに電話の着信音が鳴ると体が凍りつくので

無音にしていますし、

着信履歴などあると、息が詰まって頭が真っ白になって

しまいます。もう電話が来るはずもないのに。

ただ着信があるだけで毎回こうなっていると

正直辛いので、臨床心理士さんの

カウンセリングでどうにかならないかな・・・

と考えている次第です。

 

今まで不愉快という気持ちを押し殺して

過剰に適応しようとしていたのが、

一気に不愉快さが爆発したような感じで、

これもバランスをとるための

一時的な感情だったらいいな・・・と

今は考えています。

本当に立ち直るには数年かかるのかもしれません。

いつまでも「被害者」でいるわけにもいきませんから、

できれば心は楽になってすごしたい。

本当に平穏な日々を暮らしたい。

些細なことで過敏に反応したくない。

 

けれども、心を守るために、

命を守るために今は防御壁を張って

自分の殻に閉じこもることが必要、と

判断されているのかもしれない。

 

周りからは、ただのとっつきにくくなった人、

と思われているかもしれません。

相手の思い通りにならないことで

自我を保とうとしている、ということも

考えられるかな、なんて推測しています。

未熟なやり方ですが、

私の心はそれほど成熟していない、ということとも

とれますね。

 

時間が経過すれば、成熟して、

本当の自分の人生を歩くことができるのでしょうか。

 

そこは時間が経過しないことには分かりません。

私は立ち直るために、

もう少し努力をしてみようと思います。