自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自分の発言を忘れる

自己愛性人格障害者というのは、

基本的に自分が何を言ったのかを

覚えていません。

 

「いや、そんなことは言っていない」

「いや、自分はこれは言った」

と言っていても、

言ったか言っていないかを正確に

覚えてはいません。

 

よほど覚えておいたほうが自分が得をすることは

覚えていますが、

発言の多くはその場しのぎのものになるため、

いちいち覚えてはいられないのです。

 

それと同時に、

どれだけ他人に暴言を吐いたとしても

その中身まで覚えていません。

自己愛性人格障害者が何か言葉を

他人に投げつけるときは、

「どれだけお前は酷い人間か」

ということを教え込むためにそれ相応の言葉を

選び取って押し付けるだけで

別にそれで他人がどれだけ傷つこうが

内容が正しかろうとそうでなかろうと

関係はないわけです。

 

自己愛性人格障害者がそのときに思いつく、

最大限可能な非難の言葉で

相手の精神を滅茶苦茶にしたいと考えます。

 

もちろん、反省しているというアピールを

するためには

「ちゃんとどんな酷い言葉を言ったか

覚えています」

という態度はとります。

逆に、それを認めたくないときには

「そんなことは言っていない」

「そういうつもりじゃない」

「いや、全然覚えていない」

と答えるでしょう。

 

実際には、いちいち覚えていられないというのが

正解です。

だいたいが、被害者はとんでもない侮蔑の言葉を言われて

傷ついて、それを恨んでもいるので、

「こんなことをあなたは私に言ったんですよ!」

と怒りに任せて言いがちだったりいつまでも覚えていることが

多いですが、

 

自己愛性人格障害者にとってはそんなことを

いちいち覚えていませんし、なぜそんなことで

いつまでも怒っているのかも理解できません。

逆に、その被害者の怒りこそがこの争いを

いつまでも収束できない原因であり

話をややこしくしているのは被害者だ!

という新たな加害者側の怒りにもつながるでしょう。

 

自己愛性人格障害者としては、

「酷い侮蔑を放った」という事実というのも、

自己愛性人格障害者が酷い人間だからという

答えにはなりません。

普段はそんなことを言うはずのない人間なのに、

被害者がそれを言わせるほど酷いことをしたのだ、

というように変換されます。

 

ですから、

私はこんなに酷い侮辱の言葉を投げつけられた、

という被害者の訴えは、

自己愛性人格障害者にとっては

「お前がそれだけ酷いことをした何よりの証拠である」

「ここまで温厚な自分に

そこまで言わせたのはお前がそれだけ酷い人間という

結論ありきのことだ」

という恨み、怒り、正当化のエネルギーにしかならないのです。