自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者との結婚を後悔する被害者

被害者は、

暴言や癇癪だけをモラハラと勘違いし、

「モラハラさえなければな~…」と

思ったり、

 

その暴言がなくなることは

一生ないということに気付くと、

結婚自体をひどく後悔します。

 

 

「こんな結婚生活なら

結婚しなければよかった。」

「こんな人と結婚するなんて

自分はバカだ。」

 

ですが、

自己愛性人格障害者と被害者は、

「そうなる運命だった」というより

「必然だった」

と言わざるを得ません。

 

そんなことはない、

モラハラなんか望んでいない、

という人もいるでしょうし、

 

そんな運命は受け入れたくないと

みな言うでしょう。

 

けれども、

被害者資質がある時点で、

自己愛性人格障害者はすごく

魅力的にみえるはずです。

 

他の誰よりも魅力的に

見えますし、

この人のそばにいたいし

そばにいてほしいと

強く思います。

 

実際に交際できたときは

とても幸せだったはずです。

 

理不尽なことが何度あっても、

それに対して怒り狂ったとしても、

涙を流したとしても、

離れなかったはずです。

 

なぜか?

それは、気づかないほうが

被害者の心にとっては

都合が良かったからです。

 

ですから、

「結婚しなければよかった」

といくら強く思ったとしても、

 

被害者資質の人が

自己愛性人格障害者を前にして

「結婚しない」

という選択をすることは

皆無に等しいでしょう。

 

結婚したことが愚かだった、

問題だったわけでは

ないのです。

 

問題は結婚するしないの前、

自己愛性人格障害者に

強く惹かれた原因はなぜか?

というところにあります。

 

 

モラハラをやめてほしい、

それさえなければ…。

というのは、

 

暴言はとにかく嫌だが、

それさえなければ辛くないし

一緒にいられるのに、

ということです。

 

この時点で、

とにかく「離婚だけは回避したい」

という気持ちが伺えます。

 

 

被害者は、

長年モラハラされようと、

自己愛性人格障害者に恋心を抱いているか、

 

恋心を抱いていなくても、

とにかく「結婚生活は維持しなくては」

と考えるわけです。

 

 

どれだけ非難されようと、

どれだけ人格否定されようと、

 

「この非難さえなくなれば、

この愛する人と一緒にいれる」

「この非難さえなくなれば、

結婚生活が維持できる」

…というどちらかのパターンに

大体分けられます。

 

つまり被害者にとって

何が一番怖くなるかというと、

「愛する人を愛せなくなること」

「現状維持できなくなること」

なわけです。

 

自分に対して人格否定をしてくる人を

「愛する」ということ自体が

不思議な話ですが、

被害者は、

「ストレスがたまっているのだ」

「甘えているのだ」

という自己愛性人格障害者のいいわけを

そのまま信じて、

 

「ストレスがたまっているのだ」

「自分がストレスを

ためさせているからだ」

と必死に思い込もうとします。

 

人格否定はただの人格否定であると

考えることができないのです。

ただ自分の人生を否定されたり、

ないがしろにされているだけだと

考えられないわけです。