自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

没個性的であることのデメリット

自己愛性人格障害者は没個性的、

の象徴とよんでもいいほどの存在です。

ところで没個性的というのは

どういうことなのでしょうか。

 

没個性的とはその名のとおり、

個性に乏しいという意味です。

個人としてのオリジナリティがないということですね。

 

自己愛性人格障害者というのは、

まるで強烈な個性を持っているような印象を受けます。

 

自分の主張は強く、

相手を押しのけるほどの自我を持っている。

・・・というような「イメージ」を持つ人は

とても多いはずです。

 

もちろん、他者との違いは明確にあります。

多様な感覚を持つ他者に対して、

自己愛性人格障害者は多様な感覚など持ちません。

ある程度言動パターンは一定になっていて、

同じような思考回路を持っていて、

同じようなモラハラシステムを持ち合わせています。

 

そんな自己愛性人格障害者がなぜ

個性的に見えるかというと、

とにかく「世間一般に存在するフツウの人とは

異なる」ということが挙げられます。

 

つまりそれだけで特殊な言動をしているように

周りが感じるので、個性的に見えてしまいます。

 

主張するときも力強く主張しますし、

自分の意見ははっきり言いますし、

他者へも深い愛を示します。

 

しかし実際は「本人の信念はなく」、

そのときの自分の立場が最も強くなる、

最も守られることを最優先とした言動になり

意見はコロコロ変わります。

そして他者へ示す深い愛もあるときは

憎悪に変わり、

あるときは「愛なんか持っていない」と

言葉を訂正します。

 

そのとおりで、

自己愛性人格障害者というのは

個性がありません。

個性がないからこそ、一貫性のある一個人からの

意見というものがありません。

 

その場で被害者になったほうがいいときは

被害者ぶり、

えらい人間として振舞ったほうがいいときは

えらそうにします。

優しさを武器にしたほうがいいときは

優しく声をかけます。

 

それらを、「一生懸命」行います。

そこに恥じらいも何もないかのように

(実際ないのですが)。

 

そして人間の幼稚な防衛心理だけ

持ち合わせていますから、

没個性的である自分をひたすら

自動的にごまかし続けなくてはなりません。

そういう「システム」になっているといえるでしょう。

 

そのシステムのもとに働き続けるしかありませんから、

没個性ということは、

個人を尊重できないということで、

他者の権利など何も考えられず、

自動的に自分を守る言い分を出し、

咄嗟に自分は個性あふれる人間だ!と

言い続けるほかないということです。