自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者を見て、被害者が学ぶべきこと

自己愛性人格障害者を見て、

ターゲットが学ぶべきことがあります。

 

それは、

「あれだけ横暴に生きても

一応、生きてはいける」ということです。

 

 

ターゲットは、人を傷つけることを

極端に嫌う人も多いです。

それは自分の評価が下がってしまったり

自分自身が「モラルが無い人間」と思われることを

怖がる故というのもあります。

 

自分の些細な言動を気にしたり、

疑りぶかいのに結局相手の些細な言動に乗っかったり

いとも簡単に騙されたり、

 

言われたことをそのまま捉える癖があります。

 

 自己愛性人格障害者は、そんな

ターゲットの「傷」を餌にします。

それを餌にして、モラハラをする

エネルギーに変えますし、

モチベーションに変えてゆくのです。

 

あれだけモラルのない人間でも、

生きてはいけるのです。

むしろ社会に溶け込んでいる場合もあります。

人望はなくても地位だけはあることもあります。

 

自己愛性人格障害者が恥を感じ取れる人間ならば

とっくに気を病んでいるようなレベルでの

恥をかいている場合もありますが、

自己愛性人格障害者は恥など感じないので

本人の知ったことではありません。

 

傷を感じ取れないし、恥を感じ取れないので

一応、生きているだけです。

 

被害者というのは傷や恥に敏感です。

敏感すぎるので、逆に考えないようにする、

抑圧する、鈍感になることで

傷を避けようとします。

 

けれども自己愛性人格障害者は

よく見ています。

被害者が「罪悪感」まみれになって

傷ついているところを。

被害者が「恥」を晒したような形になって

苦しんでいるところを。

被害者が「非常識」扱いされて

しんどい状況になっているところを。

 

それが自己愛性人格障害者の餌なのです。

 

善意を与えれば善意を返すのが筋。

というのはいい考えかもしれませんが、

他人に強要することは出来ません。

それは被害者も同じです。

 

なぜ自分はこんな目に?と思ったり

するかもしれませんが、

こんな目にあわせてはならない、

というのも社会常識としてあるだけで

相手が常識も何もない人間だったら

通用しません。

 

少なくとも、

自己愛性人格障害者と被害者だけの

結婚生活という空間の中では

通用しないでしょう。

 

それが事実です。

 

「なんで分かってくれないの?

なんで傷ついているのが分からないの?

どうやったら分かってくれるの?」

と考え続けるのが被害者ですが、

そんな考え自体を跳ね除けて

「お前が分かってないからだ」

「お前が考えを改めろ」

と来るのが自己愛性人格障害者です。

 

いつまでも、交わりはありません。

 

つまり、

「夫婦生活はこうあるべき」

「ルールを守るべき」

「お互いに穏やかに暮らすのがフツウ」

という被害者の常識は、

通用しない相手なのです。

 

自己愛性人格障害者は被害者をコントロールしますが、

被害者はなんとかして

自己愛性人格障害者を「自分が考える常識的な形」に

コントロールしようとします。

 

ところがそれは徒労に終わるでしょう。

 

被害者は結局、諦めるしかありません。

なぜなら、そこまでエネルギーが続かないからです。

自己愛性人格障害者はというと、

被害者が傷つけば傷つくほど、それを見て

エネルギーに変えますから、

逆に時間が経てば経つほどモラハラが

激化していきます。

 

「世の中には、常識が通用しない相手もいる」

ということは、被害者が学ぶべきことです。

 

なぜなら、被害者の中には常識さえ持っていれば、

良心さえ持っていれば、と

自分のやりたいことや人格をほったらかしにしてまで

モラルを優先する人がとても多くいるからです。

 

モラルを守ることで自分を守っている、

そういう人もいます。

それ一辺倒になるのです。

モラルを守っているほうが正義。

罪悪感をより強くもっているほうが正義。

これだけ傷ついているのだから相手はこうするべき。

 

これ、誰かに似ていませんか?

そうです、自己愛性人格障害者です。

被害者と自己愛性人格障害者が似ていると

言っているのではありません。

ただし、ターゲットにならない人よりは、

精神的には被害者は自己愛性人格障害者寄りといえるでしょう。

もちろん精神状態は全く違いますし、

かといって病めば被害者が自己愛性人格障害者に

なるわけではありませんが(まず原理的にありえません)。

 

被害者が「自分って自己愛性人格障害者なのでは?」

と勘違いしてしまう理由もここにあります。

自分を持っている人よりは、

被害者は自己愛性人格障害者の気持ちが

なんとなく分かるような気がして

同情してしまうのもこのせいです。

 

でも気持ちが病んでくると誰でも、

被害的になったり自分はモラルを守っているんだ、

こいつは守ってないのに、と言い張ったり

罪悪感を持つことで問題を放棄しやすいです。

 

そういう被害者が「お前はモラルがない」

といわれてしまうと、

自分そのものを否定されたような気がして、

逃げ場がないような気がして

崩れそうになってしまいます。

モラル、という自分の安全も保障してくれないものに

身をゆだねすぎているとそうなります。

 

被害者が、モラルハラスメントの被害に

遭いやすいゆえんですね。

 

 

その極端な例が自己愛性人格障害者ですが、

こちらはモラルなんか考えてもいないのに

モラルのない行動をしながらも

「自分ほどモラルのある人間はいない」

「周りの人間はモラルを持っていない」

という考えにとらわれて、それだけになっています。

 

被害者が学ぶべきことは、

「モラル」というものにとらわれているなら、

モラルは人が自然に持つべきものではあるけれども、

それでもなお「モラルを守っている!」

「自分はこれだけしている!」

「自分は罪悪感をこれだけ抱えている!」

と言い張る必要がある、あるいは社会上でその機会が

多いということは。

 

モラルを守ることで他の課題を放棄している、

罪悪感を持つことで、その放棄している課題から

目をそらそうとしている、

「自分は課題を放棄しているけど、

これだけ強い罪悪感を持っているから許してね」

ということにしようとしている、

 

そういう人生を送るのが当たり前になっている。

そこを自己愛性人格障害者に突かれた、

これからも、被害者のその思考がある限り、

その可能性がある。

 

人の罪悪感を食い物にする人から、

利用される可能性がある。

 

そういうことを、被害者は学ぶ必要がある。

だからこそ、

自己愛性人格障害者がモラハラ思考をなくすよりも、

被害者が被害者思考をなくすことのほうが、

被害者が幸せ(快楽ではなく、自分で

自分の人生を生きる)になる唯一の近道。

と言う事です。