自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

行動パターンが一定になる自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者というのは

「自己愛に拘り続ける」

人格障害です。

 

自己愛にこだわるために

人格が障害をきたすというよりは、

自己愛に拘ることが人格として摩り替わる、

思っておいたほうがいいでしょう。

 

それくらい、自己愛性人格障害者の

「人格」というのは成り立っていません。

 

自己愛性人格障害者は自分を

有能なため何でも出来るがそれゆえに他人に

羨望のまなざしも集めやすいが

同時に嫉妬され、

無能な他人から足を引っ張られやすい、

不遇な人物。

というものが自分自身だと考えています。

 

そして被害者も自己愛性人格障害者の

その自己像に引っ張られます。

被害者は、「お前は唯一の協力者である」という

餌で釣られながら、

「唯一の協力者であるはずのお前は

無能で自分のことを何も考えてくれていない」

足を引っ張る者と同等の価値に下げられます。

 

その狭間を行ったりきたりしながら、

被害者は自己愛性人格障害者のそばで

暮らしていくことになります。

 

ところが、どれも真実ではありません。

自己愛性人格障害者が考えている自分も、

被害者から見えている彼らの人格も、

本当のものではないのです。

 

何なら、

自己愛性人格障害者が本当は忌み嫌っている

自己愛性人格障害者の人格も、

本来は忌み嫌うほど汚いものでも

ありません。

 

なぜ自己愛性人格障害者があれだけ

「汚い」行動がとれるかというと、

自己愛性人格障害者の本来の人格が

問題なのではなく、

人格障害者ゆえに、「心を守るためには

他人のせいにでもするし

どれだけでも人をなじることができる、

そうしないと生きていけないし

生きていく資格がないということになるから」

という誤解が問題なのです。

 

自己愛性人格障害者はその昔

自分の人格はありのままであってはならない、

そのままであってはならない、

何もかも間違っている、

お前自身が間違っているからお前のする選択すべては

間違っている。

 

という刷り込みをされ、それを

真に受けて

「ああ、自分ってこのままでは生きていく

資格はないんだ。

努力しても結局根本から間違った自分の努力は

実を結ばないんだ」

という壮大な誤解からきています。

 

そのままの自分では生きていけないから、

多様な生き方を捨てて、

防衛機制というパターン化された

「自分だけを守る生き方」でしか暮らしていくことが

できないのです。

 

ですから被害者から見て

自己愛性人格障害者はだいたい

「まるでこの被害に遭ったブログの主は自分の夫(妻)のことを

知っているかのようだ」

と思えるような、同じパターンの思考・

言動を繰り返すことになります。