自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者に、愛情はあるのか

自己愛性人格障害者が厳しいことを

言ったりするたびに、

「自分がここまで言うのは、

あなたを愛しているから」

という言葉で被害者を納得させようと

することがあります。

 

被害者が愛に飢えている人物だと、

それを鵜呑みにしてしまいがちです。

 

ああ、かなりきつい言葉を言われているけど

愛があるからなんだ。

と考えてしまうということです。

 

ここまで相手が自分に執着するのは

相手が愛してくれているから。

あるいは、愛情をうまく表現できない人だから

誤解を受けやすいだけなのだ。

自分だけは理解しなくては。

 

ここでのポイントは、

被害者は、愛を獲得したいゆえに、

そう思い込まざるを得ないという

点です。

 

実際愛しているなんてそぶりを

見せなくても

言葉で「愛しているよ」と言ってしまえば

それを嘘だろうなんて思いません。

わざわざそんな嘘をつくような人が

この世にいるとも思えないからです。

 

もちろん、自己愛性人格障害者は

嘘をついているつもりで愛している、

などとは言っていません。

ただ咄嗟に、自分のやっていることを

正当化するために愛を利用してしまうだけです。

 

何をもって愛というのか?は

人によって違うと思いますが、

感情が激しく高ぶりとにかく相手に

執着するのであればその感情の強さこそが

愛だと感じる人もいるかもしれません、

特に被害者になりやすい人はこういう傾向が

あるでしょう。

 

しかしこれはストーカーの考えることと

全く一緒です。

相手の考えを考慮しない。

まるで自分は善意でやっているようにさえ

言ったりする。

まるで行動すべてストーカーに断りをいれないと

いけないかのような言動さえする。

 

感情の暴走の先には愛はありません。

 

もし、その強い感情を持ち、

なおかつ相手のために理性を持とうとする

その行為自体が愛というならば、

自己愛性人格障害者に愛というものは

存在しません。

 

ただ被害者が愛が欲しいがゆえに、

自己愛性人格障害者の行動を都合よく、

「ああ、やっぱりこの人は

私を愛しているのだ!」と強く

感じることはあるかもしれません。

 

「それは愛情じゃないよ!ただの暴力での

支配じゃないか!」といくら周りに言われても、

被害者には届きません。

 

それでも愛情だと信じ込みたい、信じているときは、

被害者自身がその「愛」に執着しなくてはならない、

自己愛性人格障害者でも愛を持っていると

信じなくてはならない、

その理由がどこかにある、

そう考えたほうがいいでしょう。