自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自己愛性人格障害者は、「何」を自覚しなくてはならないのか?

自己愛性人格障害者はよく、

「モラハラを自覚できない」

「自覚できないからこそ、

自己愛性人格障害者なんだよ」

・・・というふうに表現されたり

揶揄されます。

 

このサイトでも、自己愛性人格障害者は

自覚する能力がないという風に

何度もお伝えしています。

 

ところが、実際方法論が確立していないだけで

自分の行ってきたことを自覚する

自己愛性人格障害者も中にはいます

(ほんの一握りですが)。

 

しかし、それには被害者の努力とか忍耐とか

そういうものでは成就されないものなので、

おすすめはしません。

 

栄養素が足りないからだと特定の栄養素をとらせようと

したり、精神の勉強をしたり、

いろんな病院を検索したり、

そういう努力はもちろん被害者の自由です。

 

しかし被害者の自由なので、

自己愛性人格障害者が治るか治らないかも

自由です、

治したいと思うかどうかももちろん

自由です。

 

だいたい、被害者がそばにいる以上は

被害者が醜い自分の鏡、身代わりとなって

くれるので、

いちいち自己愛性人格障害を自覚したり

しかもそれを治そうとか考えたり

すること自体が何のメリットもありません。

 

自己愛性人格障害者が自己愛性人格障害者を

やめたいと思うときというのは、

自己愛性人格障害者のままだと損をすると

思ったときです。

 

ところで、自己愛性人格障害者でも

自覚は一握りに生まれると話しましたが、

これは「暴言・暴力の自覚」というだけです。

 

これだけでも進歩といえますが(一時的に

暴言を認める自己愛性人格障害者は

よくいるので進歩といえるかどうかも

微妙ですが)、

はっきり言ってここから本当に

「モラハラの自覚」というところまで進むのは

途方もないことです。

 

「暴言・暴力の自覚」はあっても、

モラハラ思考の自覚はない、

というのが厄介であったりします。

 

「自分は暴言・暴力をしてきた。

自覚しているから自己愛性人格障害者なんかじゃない」

という考えの人もいるでしょう。

 

あるいは

「自分は自己愛性人格障害者だってちゃんと

自覚してますよ」

という主張が強くなっている人です。

 

モラハラというのは免責されたいという

思考も含まれますから、

そういう主張をすることというよりは

「その主張に拘り続けている場合」、

その主張に拘らなくてはいけないそれ自体が

モラハラ思考なのだと自覚することが必要なのです。

 

暴言・暴力を自覚するというより、

「暴言暴力をしてきた自覚はちゃんとありますよ」

というそういう自覚よりも、

「暴言・暴力をしてきた自覚はちゃんとあるし!

という主張で人をコントロールしたり自分で自分を免責

したりされようとするのがモラハラ思考である」

という自覚が必要だということです。