自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

なぜ、虐待が出来るのか?

「虐待」のニュースは皆さんもよく目にすると思います。

その内容を文字に書き起こすとより凄惨なもので、

イメージしようと思ってもあまりに惨く

そこで思考がストップしてしまう人も多いことでしょう。

 

そもそも、酷いとかそういう以前に

虐待をする意味が分からない、

心理が全くわからないという人も

いるでしょう。

 

加害者が口を揃えていうのは、

「躾のつもりでやった」

ということです。

 

躾、という言葉であれば

正当化できるからというのもありますが、

本当に躾のつもりであるという

人間もたまにいます。

 

躾であると思わざるをえない、ということですね。

 

自己愛性人格障害者というのは、

この「自分がやっている虐待が

躾、愛、正義であると思わざるをえない」

という障害もあります。

 

たとえば子供の前の面前DVであれば

至らない妻を正してやっている、

それをしっかりと子供の目に躾の意味合いで

焼き付けさせる、

といったものですね。

 

自己愛性人格障害者のいう躾というのは、

「そういう方法」しか知らないわけです。

自分の思い通りにならない相手に対して

威圧的になりどうやって思い通りにさせるか?

自分が正しいということをどうやって周りに

分からせるか?

という躾です。

 

なぜそれを躾といえるかというと、

自分もそうやって親に教え込まれてきたからだし、

本来はこどもの事なんか気にしていられないからです。

 

なぜなら自分の子供の感情さえ自分の感情として

かき消されてしまうわけですから、

自分が腹立たしいと思っていると

子供が自分に対して腹立たしいと思っている!

と確信しますから余計にイライラしてしまいます。

 

「縛り付けて叩きのめしたいくらい

憎い相手がいる」

というのと、

「実際に縛り付けた上に叩きのめす、

叩きのめしても憎いからさらに叩きのめす」

という行動に移すのとは、

相当の違いがあります。

 

実際、目の前に憎んでいる対象がいて、

その相手を物理的にもそれくらい攻撃できるかどうかというと、

まず出来ません。

 

虐待というのは、

そもそも相手が自分に対して

何か反抗心を持っていて、

自分から離れようとしている、

自分の思い通りにならないようにしている、

そういった「悪意」をこちらに向けている。

 

その危機感というのは、

いわゆる自己愛性人格障害者の

「自我の不安定さ・危機」というものに

由来するものになります。

 

ただちょっと、相手が思い通りにならないだけで

とんでもない危機感と強烈なストレスに

苛まれるのに、

子供などはそもそも思い通りにならないことで

自我を芽生えさせようとする生き物ですから、

危機的状況を何度も作り出してしまうのです。

 

そう考えただけで自分に多大なる攻撃を

しかけてきたような気分になり、

腹が立ち、

その悪意に対して攻撃をして

二度とそういうことをしないように

「躾」るわけです。

 

ところが子供は何度も

同じことを繰り返します。

特に自己愛性人格障害者、あるいは境界性人格障害者などは

それを「わざと自分に対してまた悪意を働かせた」と

考え、以前よりももっと厳しくしなければ

こいつは矯正できない、と考えます。

 

「憎いから攻撃する」というものの

「憎さ」というのは限度があります。

それは一般の人が、罪悪感を持ち、

自分は自分、他人は他人という境界線を

しっかり持っているからに他なりません。