自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

「どこの家庭もそうやって我慢しながらやっていくのよ」という罠

被害者がやっとの思いで

人に相談することが出来たとしても、

こういう台詞を返されることというのは

そんなに珍しくないかもしれません。

 

特に、こういう台詞を言うのは

女性に多いという実情もあるでしょう。

 

そしてさらに、

「自分はそういう我慢を乗り越えて

ここまで頑張ってきたんだ」

という自負がある人であれば

尚、そういう言葉を相手に投げかける

ことが多くなるとは思います。

 

ところが、その時点で、

相手にどういう内容の相談をされたかというのは

もはや関係がなく、

なぜか自分の我慢がさも当たり前で

それを他人に強制する権利が自分にはあるというような、

すべての家庭の事情を知っているかのような

口ぶりになってしまうのもまた事実です。

 

それは

「その人の家庭」の話であって、

「相談した被害者の家庭」の話ではありません。

 

ただ、被害者は相談した手前、

その人の言うことを忠実に聞き、

「そうか、やっぱり自分の我慢が足りないのかな」

という考えに至るでしょう。

 

ところで、

「我慢が足りない」というのは、

ではどこまで我慢すれば我慢が足りているのか

ということになりますが、

おそらくそういう台詞を被害者に返す人は、

「一生、添い遂げるまで」

我慢し続けるのが当たり前だ、責務だ、

と思っていることが多いです。

 

すなわちモラハラを受けようが

なんだろうが、

その相談相手には全く関係ないわけです。

 

夫婦はそういうもの、

自分だって我慢の限界を何度も超えてきた。

けれども耐えてきた。

だって、夫婦とはそういうもの。

 

が、何度もいうように、

それはその個人の勝手であって、

自分が耐えているからといって

他人が耐えられないから我慢が足りないと

いえるわけではありません。

 

なぜならおかれている状況は

個人個人で全く違うからです。

 

ただ一般的な形に他人を押し込もうとする人というのは、

とにかく被害者の言い分を理解できませんから、

こういうことを言われたら、

「やっぱり自分の我慢が足りないのかな・・・」

と考えたあとに(被害者に考えるな、と言っても

難しいでしょうから)、

ちょっとその思考を書き換えて

「自分の我慢が足りないんだろうなあ。

“この人たちにとっては”」

「もっと耐えなくちゃいけないんだろうなあ、

“この人たちにしてみれば”」と付け加えましょう。

 

自分の辛いという思い、我慢の限界という思いと、

他人の「我慢しなくては」という

考えがごちゃごちゃになるのは当然のことです。

ですから、ちょっとだけでも切り離す癖をつけましょう。

 

実際辛い目に遭うのも我慢を強いられるのも

被害者なのですから。