自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

自分を育てなおすということ

今回はただの日記のような記事です。

 

自己愛性人格障害の被害者として

数年生きてみて、

苦しい思いばかりを抱えてきて

自己愛性人格障害者から離れて

被害から抜け出したあとも

いろんな感情が渦巻いていて

まとまりがなかった状態でした。

 

カウンセリングを開始し、

まだ二度目のカウンセリングは受けていませんが

とりあえず「私とは何なのか」というものの

答えを探っている最中です。

 

モラハラ被害に遭ってから

失ったものも大きいですが、

正直言って、

自己愛性人格障害の被害に遭っていなかったら

手に入らなかった自分の価値観と視点というものは

得られたとは思います。

 

自分らしさはわからなくとも、

自分の意見をはっきり持たなくても、

今までそれで困ったことはありませんでした。

困ったことがなかったといっても、

困ってもそれをどうにかしなければ

ならないほど困ることはなかった、

ということです。

 

「自分らしさを探す」なんて大層なことを

言っていますが、

これは自分はどういう人間だ!とはっきり

させたいわけではなく(それだと防衛機制に

とらわれるのと一緒になってしまうので)、

「自分らしさなんて、どうでもいいよ」

と自分の感覚で言えるまで、

いちいち自分というものがどういうものか

探らなくても納得のいく自分もいかない自分も

とりあえずは自分だと認められる、諦められる・・・

 

そういう感覚を目指しています。

 

自己愛性人格障害とまではいかなくても、

立派な被害者気質の私は、

未熟な自我の持ち主です。

その未熟な自我をとりあえず、それはそれでしょうがないと

すんなり認めてあげられない限りは

私も防衛機制にとらわれ、過敏に反応し、

「私はこうだ!」

「他人なんか信用できない」

「こうなった自分がいけないんだ」

「いや、これは仕方のないことだったんだ」

と無理やり言い張り続けないといけなくなるでしょう。

 

カウンセリングが終了するくらいの頃には、

何か変わっているのでしょうか。

変わらないのでしょうか。

それすらわかりませんが、

変わらなければ自分がつらいままなだけです。

 

これは多分、もうモラハラ被害者だったからこその

傷というよりは、

被害者になりえる特性を持った

自分そのものの課題、

自分が何を好きで何が嫌いで、

本当は何を恐れていて何を得たいのか、

自分はどれくらい傷ついていて、

防衛機制に振り回されすぎないで、

「自分は本当はどうしたいのか」

ということを知るまでの痛み・・・

と思っています。

 

 

モラハラ被害者というのは過敏になります。

けれども、モラハラ被害に遭わなければ

こんな目に合わずに済んだのに、

とはあまり思いません。

 

モラハラ被害に遭わなければ、

自分は一生、自分というものと向き合わずに

生きていっていたかもしれません。

 

今も向き合っているとは思いません。

まだまだ逃げ続けるかもしれません。

防衛機制にとらわれるかもしれません。

どうせそこらへんはコントロールできない

ものですから、修正できるときに修正するしか

ありません。

それでも自分を過剰防衛してしまうときは

もう仕方がありません。

 

変わったからといって

別に外界が変わるわけでもありません。

ただ、自分が少し生きやすくなるだけ。

たったそれだけの事が、今の自分にとっては

何より大事です。

 

けれども逃げつつ、

それでも少しずつ自分の可能なことを

やって、

立ち向かいつつ、逃げつつ、

工夫しつつ・・・・

と繰り返していくしかないかなあと

今は思っています。

 

自分の育てなおし、というところでしょうか。