自己愛性人格障害の闇。

自己愛性人格障害の闇について紐解いていくブログ

「暴言や暴力だけやめてくれたらいいのに」

自己愛性人格障害者に対して、

このタイトルとおりのことを考えている

被害者も多いことでしょう。

 

むしろ、被害者が自分の被害を

「暴言、暴力を受けている」ということのみだと

考えていたりして、

 

支配されているとか、

自分自身の罪悪感をうまくつつかれているとか、

そういうことまでは考えられないことも

多くあります。

 

自己愛性人格障害者の押し付けてくる

「常識」というのは、

被害者が「なんとなく、この人の言うとおりかも」

と思わせるような内容のものばかりであって、

その常識自体が自己愛性人格障害者の都合よく

すりかえられているものだとは思いも

よらないからです。

 

ですから

暴言、暴力だけやめてくれれば

何も言うことはないのに、

それ以外は理想の相手なのに!

と考えることも多いです。

 

暴言暴力だけやめて、

その強烈な個性だけ残してくれたら、

こんなに魅力的な人はいないのに・・・

とまで思っている人も少なくは無いでしょう。

それほど、自信のない被害者にとって

断定系の自己愛性人格障害者というのは

魅力的な人間に見えてしまうことが

あります。

 

しかしその自己愛性人格障害者の

強烈な個性に見えている部分も、

実際は自己愛性人格障害者が

自己愛性人格障害者ゆえに

感じるものであって、

 

自己愛性人格障害者から

「暴言・暴力だけを抽出して

改善させる」ということは不可能です。

 

自己愛性人格障害者が魅力的に

見えるのは、万能感ゆえに

自信満々に「これが自分の考えで、

これが個性なんだ」ということを

はっきり言ったり、

中身の無い愛をまるで本当に愛しているかのように

伝えることに長けているからです。

 

中身も伴っておらず、

そこに責任は伴わないので、

達成できなかったときの罪悪感もないので、

無責任に何度も愛を語ることだけは出来ますし、

大いに自分の正義感を語ることも出来ますし、

それを惜しみません。

 

つまり自己愛性人格障害者にとって暴言も暴力も

愛の言葉も、

結局は相手をコントロールするための

ものであって(これだけ愛しているのだから

こっちの要望にちゃんと答えろよ、ということ)、

明確な違いは無いのです。